小豆畑健吉 ( あずはたけんきち)

 小豆畑健吉は1839年(天保10)に吉田光一と同じ石川下泉村に生まれました。健吉は1878年(明治11)1月の「石陽社盟約書」に名がある石陽社員でした。年齢からみて石陽社では長老格であったでしょう。福島・喜多方事件当時は石川村の用掛兼学務委員を勤めていましたが、光一との親交もあって83年(明治16)1月石川警察署に逮捕され取り調べを受けました。その調書によると、河野広中・吉田光一らとの交際を追求されたうえ、民権家救済の金銭互助会らしい愛隣醵金法に関係したのではないかと厳しく尋問されました。石川警察署の椎原警部は喜多方事件で健吉が河野らと通謀したとみなし、若松に送りましたが間もなく釈放されたとみられます。福島・喜多方事件後の行動は詳しくありませんが、明治20年代は石川村会議員、その後鈴木荘右衛門石川町長時代の同30年には収入役に就任しました。