川口元海は1853年(嘉永6)安達郡本宮の士族の家に生まれました。後に石川に転居し、81年ころの三島県令宛報告書には、吉田光一・鈴木重謙・吉田正雄らとともに「医師川口玄海」と名があり、石川郡自由党の幹部と見なされていました。81年5月の鈴木荘右衛門宅での演説会では「盗賊ノ昼寝」と題し、権力をもって自身の栄達をはかるものは盗賊と同じであると、暗に政府高官を批判しました。元海は82年11月自由党勢拡張のため四倉(いわき市)に移住しましたが、実は石川での借金問題もあったようです。元海はこのように民権家として急激に頭角をあらわしたため、福島・喜多方事件では四倉移住直後の12月に福島自由党本部無名館で逮捕されました。福島警察署の取り調べでは河野や自由党との関係でシラを切りましたが、若松に送られて検事の尋問を受け、さらに国事犯として高等法院に送られました。無罪釈放となったのは83年4月でした。