添田一二(そえたいちじ)

 1852年(嘉永5)、菊田郡窪田村士族山田仲八の三男として生まれました。添田治兵衛の養子になり石川にきました。1878年(明治11)石陽社が結成されると、養父治兵衛と共に社員になりました。この頃郡書記をしていますが、なぜか79年12月4日辞職しました。後に一二は石川町長を三期、1901年(明治34)から06年までと1909年(明治42)から1921年(大正10)まで務めました。この間水郡線や電話敷設に尽力し、現在の石川町の基礎づくりをしています。しかし、白石鉄道建設では工事が中断し、町長で推進したこともあり、全私財を投じる結果になりました。1938年(昭和13)9月30日、その生涯を閉じました。 

福島県第二十一区副戸長辞令
(添田美和氏蔵)