渡辺忠兵衛/忠太( わたなべちゅうべえ/ちゅうた)

 町の中心から2ほど北に入った北須川沿いに、ラジウム鉱泉として名高い母畑温泉があります。この温泉のホテル八幡屋は八幡太郎義家伝説にちなんでつけられたものです。八幡屋の先祖渡辺忠兵衛は母畑村の戸長をしていましたが、自由党の活動に同調し、旅館という便利さもあり、政談演説会の会場として提供していました。
 渡辺忠太は慶応2年(1866)に忠兵衛の三男として生まれ、三男という身軽さもあって、二男の治郎松(母畑味戸家に婿養子入り・のち母畑村長)らと早いうちから自由党の活動に参加しました。
 福島・喜多方事件のある1882年(明治15)の4月に八幡屋で演説会を行い、忠太は17歳、治郎松は18歳という若さで演説を行いました。外部からの論客なしで、近村の青年だけで開催したこの演説会は、石陽社の青年たちの成長を物語るものです。その後、忠太は須賀川の遠藤家の養子となり、四男の忠吾は溝井家(猫啼温泉井筒屋)の養子となっています。