笠原忠節 (かさはらちゅうせつ)

 笠原忠節は1855年(安政2)、忠琢の長男として生まれました。1881年(明治14)8月、26歳の忠節は東北各県の代表者による東北七州自由党の結成に、福島県を代表し参加します。10月には石川地方でも「自由党会議」が開催され、その一員となりました。翌82年になると、石川地方でも演説会が盛んに開催され、青年自由党員である忠節は地元弁士として熱弁をふるいました。5月8日の鈴木荘右衛門宅での演説中、弁士中止を命じられています。この年、福島・喜多方事件が起きると忠節は、12月10日石川警察署に逮捕され、すぐに会津若松に護送されました。しかし、翌16年1月19日に免訴釈放となりました。1927年(昭和2)、72歳で東白川郡宮本村で亡くなりました。

笠原忠節発行の種痘済証
(渡辺実氏蔵)